2026年11月5日、プーチン大統領はJT(日本たばこ産業)のロシア事業を、ロシア企業の「一時管理」下に置く大統領令に署名しました。対象は海外子会社JTインターナショナル(JTI)がロシアに持つ4社で、時事通信は生産拠点4カ所・従業員約4,000人と伝えています。
一時管理は没収とは違い、株式の名義はJT側に残る一方、会社を動かす経営権は事実上ロシア側の管理会社に移ります。2023年4月にできた対抗措置の仕組みで、インタファクス通信によると、世界的なたばこ大手に使われたのは今回が初めてです。
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11月5日の大統領令で何が決まったか
大統領令はロシアの法令ポータルで公表され、題名は「特定の財産の一時管理について」です。インタファクス通信によると、JTIが持つ各社の持分の管理を、Promyshlennye Aktivy(インダストリアル・アセッツ)という株式会社に任せる内容です。
完成品をつくる2社と、原料を加工する2社がそろって対象になりました。
※所在地・役割・売上はインタファクス通信(売上は各社が公表した最後の年である2023年)。
4社の中で規模が大きいのはサンクトペテルブルクのPetroで、2023年の売上730億ルーブルは、ほかの3社の合計の3倍を超えます。完成品の2社と原料加工の2社がそろって対象になったため、ロシアでの生産の流れがまるごと管理下に入ったことになります。
JTは「従業員をはじめとするステークホルダーを最優先に」、状況と今後取り得る選択肢を精査しているとコメントしました(時事通信)。管理会社の体制も見えておらず、インタファクス通信は、この名前の会社がどの登記の会社かは特定できないとしています。
「一時管理」とは何か|所有権は残り、経営権が移る

一時管理は、外国企業がロシアに持つ会社の持分について、ロシア側が指名した管理者に所有者の権限を代わりに使わせる仕組みです。2023年4月の大統領令302号は、管理者が売却などの処分を除く所有者の権限を行使できると定めています。
管理にかかる費用はその資産が生む収益から払い、管理を終わらせるのも大統領の決定によります(インタファクス通信、2023年4月26日)。持分の名義は変わらないので法律上は没収ではありませんが、元の所有者は経営の判断に加われなくなります。
一時管理は、名義は元の所有者のまま、経営の判断だけが管理者に移る状態です。
※一時管理の欄は2023年の大統領令302号の規定(インタファクス通信)。JTの4社で管理会社が実際にどこまで権限を使うかは、11月6日時点で公表されていない。
JTからロシアの4社への所有の線は残ったまま、管理会社が横から経営に入ります。
※点線は名義上の所有、実線は大統領令で移った経営の権限。管理会社はPromyshlennye Aktivy(インダストリアル・アセッツ)。
なぜ起きたのか|制度の成り立ちと適用の広がり
2023年4月の大統領令302号は対抗措置として生まれた
大統領令302号は2023年4月25日に出された制度で、対象の資産は大統領がリストで決めます。発動の条件は、非友好国でロシア側の財産権が奪われたり制限されたりした場合(その恐れを含む)と、ロシアの安全保障に脅威がある場合です(Stonebridge Legal)。
背景には、欧米によるロシア資産の凍結への対抗があります。最初のリストに載ったのは、ドイツのユニパーとフィンランドのフォータムが持つロシアの電力会社の株式で、ユニパーはユニプロ株の83.73%を持っていました。
海外でロシア側の資産が凍結されたことへの対抗として、ロシア国内の外国企業の資産に手を入れる仕組みができました。
※発動の条件と対象の決め方はStonebridge Legalの解説による。対象の資産は大統領がリストで決める。
欧米企業から日本企業へ広がった
2023年7月には、仏ダノンのロシア子会社と、デンマークのカールスバーグ傘下のビール会社バルチカが加わりました。カールスバーグは6月に売却先を見つけていましたが、大統領令の後に売却の見通しは「きわめて不透明」になったと説明しています。
リストはその後も広がり、2024年3月12日時点で21社に達しました(Stonebridge Legal)。2026年9月にはネスレや仏小売のオーシャン(Auchan)など欧州企業のロシア事業にも適用が報じられ、JTはその流れの中で対象になった日本企業です。
JTが選択肢を検討している間に、一時管理の対象は欧米企業から広がっていきました。
※制度の動きはPrensa Latina、インタファクス通信、Fortune、Stonebridge Legal、FoodNavigatorの報道、JTの判断は同社の株主総会回答と決算短信による。
対日関係の文脈
時事通信は今回の措置を、プーチン氏の北方領土訪問や北海道新聞記者の拘束などに続く対日圧力強化の一環とみられると伝えています。日本がロシアから非友好国に指定されたのは2022年3月で、制度の上では日本企業もはじめから対象になりうる立場でした。
JTがロシアに残っていた理由と、撤退の難しさ
事業を続けてきた背景
JTは2022年3月10日、ロシアでの新規の設備投資と販売促進を一時停止し、加熱式たばこの新商品の発売も延期すると発表しました。同じ年の第1四半期決算では、グループからの経営の分離を含めた選択肢を検討していると公表しています。
それでも事業を続けた理由を、JTは2024年3月の株主総会で、各国の制裁やロシア国内の法制度が頻繁に変わるため発動には慎重な検討が要る、と説明しました。製品在庫と原材料は確保できており、直ちに停止せざるを得ない状況ではないとも答えています。
JTは撤退を含む選択肢を検討しながら、すぐには止めない理由を毎年説明してきました。
※JT「第39回定時株主総会 ご質問への回答」(2024年3月)、「第41回定時株主総会 事前ご質問への回答」(2026年4月)。
2026年4月2日付の株主総会の事前質問への回答では、継続の可否の判断が全世界の顧客・株主・従業員・社会に大きな影響を及ぼすと述べました。そのうえで、適用される規制や国際的な制裁を守りながら、製品の製造・販売を続けるとしていました。
売却で出るには厳しい条件がある
ロシアから出る方法の一つは現地の買い手への売却ですが、非友好国の企業が売るには政府委員会の承認が要ります。2024年10月15日の委員会の決定で、条件は次のように厳しくなりました(Cleary Gottlieb、2024年11月4日)。
- 独立鑑定人が評価した市場価値から60%以上割り引いて売る
- 割引前の市場価値の35%以上を「自発的な」拠出として連邦予算に払う(取引後1か月以内に25%、1年以内と2年以内に5%ずつ)
- 市場価値が500億ルーブルを超える取引は大統領の承認を得る
市場価値を100とすると、ルールどおりに売った売り手の手取りは最大でも5です。
※2024年10月15日の政府委員会決定の条件から計算(Cleary Gottlieb)。個別の案件で条件がどう適用されるかは公表されない。
計算上、売り手の手取りは市場価値の5%以下になり、規模の大きい事業ほど大統領の承認という関門も加わります。JTが売却を申請したかどうかは公表されておらず、一時管理の下で売却の手続きがどう扱われるかも明らかになっていません。
JTの業績・株価への影響
過去の構成比で見ると、ロシア事業は2023年度実績でJTグループの売上収益の約10%、調整後営業利益の約24%を占めました(2024年3月の株主総会での回答)。2024年度の通期見込みでも約9%と約21%で、売上の割に利益の比重が大きい市場です。
売上では10分の1ほどですが、利益では4分の1近くをロシアが占めていました。
売上収益:10人中1人分(約10%)
調整後営業利益:10人中2人分(約24%)
※JT「第39回定時株主総会 ご質問への回答」(2024年3月)。人数は四捨五入。過去の構成比であり、今回の一時管理で失われる利益の見込みではない。
直近の会社説明は、2026年10月29日の第3四半期決算です。1〜9月の売上収益は2兆9,914億円(前年同期比13.6%増)、営業利益は9,477億円(24.2%増)と伸び、ロシアは値上げが利益を押し上げた市場の一つに挙がっていました。
同じ決算短信でJTは、ロシアのたばこ事業の所有権移転の可能性を含む選択肢の検討を続けており、見通しと業績への影響は現時点で合理的に見積もれないと記しています。一時管理を受けた会計上の扱いは、まだ示されていません。
11月5日夜のジャパンネクスト証券のPTS(私設取引システム)では、JT株が同日の東証終値比1,500円(19%)安の6,269円まで売られました(日本経済新聞)。これは制限値幅の下限、いわゆるストップ安の水準で、6日の東証での値動きは記事の作成時点で確定していません。
過去の構成比、会社の説明、市場の反応は、それぞれ別の時点の数字です。
※構成比はJTの株主総会回答、会社の説明はJTの決算短信、株価は日本経済新聞による。
ロシアに拠点を持つ日本の製造業への影響

JTの件では、撤退を検討しているうちに、相手国の決定ひとつで経営権が移りました。撤退するか残るかを決める前に、移される側の準備がいる、というのが製造業にとっての教訓です。
直接の対象はJTの4社ですが、同じ制度の下にいる企業と、その取引先にも判断を迫ります。
※制度の対象は大統領令302号、売却の条件は2024年10月15日の政府委員会決定(Cleary Gottlieb)による。
自社で先に確かめること
左から順に、経営権が移る前に把握しておきたいことです。
※302号の対象は非友好国の関係者がロシア国内に持つ資産。持分の名義と資産の所在地が、影響の範囲を決める。
ロシア工場から部品・原料を受けている他国の工場の代替先まで洗い出す作業には、多層の調達網の見える化を扱うサプライヤーBCPと調達リスクの手順がそのまま使えます。拠点の国ごとの点検は米国関税とサプライチェーン再編と同じ枠組みで整理できます。
相手国の決定が日本企業を直接狙う例は、中国のレアアース輸出規制と対日措置のように調達の側でも起きています。JTのようにロシアの売上・利益の構成比を開示しておくと、株主や取引先は影響の大きさを自分で見積もれます。

ロシアに残る日本企業の状況
ジェトロが2025年9月にロシアに拠点を持つ日系企業に聞いた調査(回答50社、うち製造業10社)では、今後1〜2年の方針を「現状維持」とした企業が76.0%でした。「縮小」と「第三国への移転・撤退」の合計は18.0%で、前年の37.9%から半分以下に減っています。
一方で、2025年の営業利益見込みが「赤字」の企業は50.0%、「黒字」は24.0%と、2013年の調査開始以来の最低でした。制裁の影響があるとした企業は98.0%にのぼり、出るに出られず、残っても稼ぎにくい状況が続いています。
同じ調査で最大の競争相手に中国企業を挙げた企業は38.8%で、2019年度の4.9%から大きく増えました。上場企業では、2022年2月時点でロシアに進出していた168社のうち、撤退を表明したのは2023年2月19日時点で27社でした(帝国データバンク調べ、ロイター配信)。
撤退した企業が払った代償
撤退を選んだ企業も、無傷では出ていません。トヨタは部品調達が難しくなった2022年3月4日にサンクトペテルブルク工場を止め、再開の見通しが立たないとして9月23日に生産事業の終了を発表しました。
日産は2022年10月11日、ロシア事業をロシアの自動車・エンジン中央科学研究所(NAMI)に譲ると発表し、約1,000億円の一過性の損失を計上しました。6年以内に買い戻せる権利を付け、全従業員の12か月の雇用をNAMIが保障する条件です。
資源分野では、三井物産が2022年6月30日付のロシア大統領令を踏まえ、サハリン2などの投資価値を合計1,366億円減額しました(ロイター配信、2022年8月2日)。JTの一時管理はこれらと違い、売却も撤退もしないうちに経営権だけが移った例です。
同じロシア事業でも、自分で出たか、相手国の決定で動いたかで中身が違います。
※各社の発表と報道による。「公表なし」は本記事の調査で確認できなかった項目。
JTのロシア事業一時管理のよくある質問
一時管理が解除された例はありますか?
あります。ダノンのロシア子会社は2023年7月に一時管理の対象になりましたが、2024年3月13日の大統領令186号でリストから外れました。大統領令は理由を示しておらず、ロシアの買い手への売却が近いと報じられていました(Stonebridge Legal)。
ほかのたばこ大手はロシア事業をどうしたのですか?
インタファクス通信によると、英インペリアル・ブランズは2022年にロシア事業をロシアの投資家へ譲り、英BAT(ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)は2023年に現地の経営陣へ売却しました。どちらもロシア側に事業を渡しており、一時管理を受ける前にロシアから離れています。
日本政府はJTの株主ですが、ロシア事業の判断に関わりますか?
政府はJTの株式の約3分の1を持っていますが、2023年3月の参院予算委員会で鈴木財務相は、事業判断は一義的にJTの自主的な経営判断によると答えました。岸田首相(当時)は、検討の状況を「注視」すると述べています。
まとめ
- 2026年11月5日の大統領令で、JTIのロシア4社がPromyshlennye Aktivyの一時管理下に入った
- 一時管理は名義を残したまま、処分以外の所有者の権限を管理者が使う仕組みで、終了も大統領が決める
- 制度は2023年4月の大統領令302号で生まれ、欧米企業から日本企業へ適用が広がった
- ロシアは2023年度にJTの調整後営業利益の約24%を占め、JTは影響を合理的に見積もれないとしている
- 売却ルールでは手取りが市場価値の5%以下になり、ロシアに残る企業は出口と資産の持ち方を見直す必要がある
海外拠点のリスクは、取引先の選び方を扱う購買・調達の仕事や、食品・日用品の大手を並べた食品・医薬・日用品業界の主要企業と勢力図の見方にも関わります。
出典
出典・参考資料(20件)を開く出典・参考資料を閉じる
- 大統領令の内容・JTのコメント:時事ドットコム「ロシア、JT資産を管理下に 対日圧力強化の一環か」(2026年11月5日)
- 大統領令の報道:NHK(2026年11月5日)
- 対象4社・管理会社・各社の売上:Interfax「Japan Tobacco first industry giant to have Russian assets placed under temporary management」
- 大統領令の題名:TASS(2026年11月5日)
- PTSでの株価:日本経済新聞「JT株価、私設取引でストップ安 ロシアが資産を一時管理下に」
- 第3四半期の業績とロシアに関する注記:JT 2026年12月期第3四半期決算短信(英訳版、2026年10月29日)、同 決算説明資料
- ロシア事業の構成比・継続の理由:JT 第39回定時株主総会 ご質問への回答(2024年3月)
- 2026年の方針:JT 第41回定時株主総会 事前ご質問への回答(2026年4月)
- 2022年3月の投資・販促の停止:ロイター配信(ビジネス+IT、2022年3月11日)
- 大統領令302号の規定:Interfax(2023年4月26日)、Stonebridge Legal「Temporary administration of Danone Russia cancelled」(2024年3月15日)
- ダノン・カールスバーグへの適用:Fortune(2023年7月17日)
- ネスレなどへの適用:FoodNavigator(2026年9月18日)、The Moscow Times(2026年11月5日)
- 売却の条件:Cleary Gottlieb(2024年11月4日)
- ロシア進出日系企業の調査:ジェトロ「2025年度 海外進出日系企業実態調査(ロシア編)」
- 上場企業の撤退表明:ロイター配信(ビジネス+IT、2023年2月23日)
- 日産の撤退:日産自動車「ロシア市場での事業からの撤退を決定」(2022年10月11日)
- トヨタの生産終了:MONOist(2022年9月26日)
- 三井物産の減額:ロイター配信(ビジネス+IT、2022年8月2日)
- 政府答弁:ロイター配信(ビジネス+IT、2023年3月23日)
- 非友好国への指定:Prensa Latina(2022年3月8日)
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