硫化水素と金属イオンの沈殿|酸性・塩基性で沈む硫化物が違う理由と色

撹拌機付きの反応槽と円形の沈殿槽が並ぶ製錬所の排水処理設備

硫化水素(H2S)を通じたとき、銅イオンは強い酸性の液でも黒い硫化銅になって沈むのに、亜鉛イオンは同じ液では沈まず、中性から塩基性にすると沈むのはなぜか。答えは、硫化物イオン(S2−)の濃度がpHで何桁も変わり、硫化物ごとの溶けにくさも何桁も違うことにあります。

この「沈む順番の差で金属を分ける」考え方は、陽イオンの系統分析だけでなく、めっき工場や製錬所の排水から重金属を除く硫化物法、ニッケル製錬で亜鉛を先に取り除く工程にもそのまま使われています。一方で硫化水素は、低い濃度でも命に関わる有毒な気体です。

この記事では、まず酸性と塩基性で沈む陽イオンが違う理由を平衡と溶解度積の計算で確かめ、沈殿の色と系統分析での使い方を整理します。後半では、重金属排水の処理、製錬での硫化物、硫化水素を扱う現場の安全管理を取り上げます。

目次

硫化水素で沈殿する陽イオンが、酸性と塩基性で異なる理由

酸性でも沈むのは銀・鉛・銅・カドミウム・水銀・スズのように極めて溶けにくい硫化物をつくるイオンで、亜鉛・鉄・ニッケル・マンガンなどは酸性の液では沈まず、中性から塩基性にすると沈みます。酸性の液には硫化物イオンがごくわずかしかなく、それでも沈むほど溶けにくい硫化物だけが沈みます。

硫化水素は水に溶けると弱い酸として2段階に電離し、2段目でようやく硫化物イオンができます。2つの式をまとめると、1分子のH2Sから2個のH+と1個のS2−が出る平衡として表せます。

硫化水素の2段階の電離
H2S ⇄ H+ + HS−  K1 = 9.1×10−8
HS− ⇄ H+ + S2−  K2 = 1.3×10−14
2つをまとめた平衡
H2S ⇄ 2H+ + S2−  K1K2 = [H+]2[S2−][H2S] = 1.2×10−21
K1・K2:1段目・2段目の電離定数(25℃付近、mol/L)。[ ]はそれぞれのイオン・分子の濃度[mol/L]。値は南江堂『パートナー分析化学I』の表によります。検算:9.1×10−8 × 1.3×10−14 = 1.18×10−21。

ここでルシャトリエの原理を当てはめます。酸性の液ではもともとH+が多いので、平衡はH+を減らす左向きに偏り、S2−はほとんどできません。

反対に塩基性の液ではOH−がH+を中和して取り除くので、平衡は右へ動いてS2−が増えます。平衡の向きを決めるこの考え方は、ハーバーボッシュ法の条件を決めるときと同じです。

どれくらい変わるかは、式を変形すると数字で分かります。常温・常圧で硫化水素を水に飽和させると、溶けている濃度はおよそ0.1 mol/Lなので、S2−の濃度はH+の濃度の2乗に反比例します。pHが1上がるとS2−は100倍に増える計算です。

硫化水素を飽和させた液の硫化物イオン濃度
[S2−] = K1K2 × [H2S][H+]2 = 1.2×10−21 × 0.1[H+]2 = 1.2×10−22[H+]2
(pH 0.5)[H+]2 = 10−1 → [S2−] = 1.2×10−21 mol/L
(pH 9)[H+]2 = 10−18 → [S2−] = 1.2×10−4 mol/L(pH 0.5の1017倍)
[H2S] = 0.1 mol/L:常温・常圧で水に飽和させたときの溶解度。濃度を活量の代わりに使う概算で、温度やイオン強度が変われば値もずれます。pH 9の値も、H2Sが0.1 mol/Lのまま保たれるとした仮定の計算です。

図1:pHで変わる硫化物イオンの濃度

硫化水素を飽和させた液では、pHが1上がるごとに硫化物イオンが100倍に増えます。強い酸性と塩基性では17桁の差です。

pH 0.5pH 1pH 7pH 91.2×10⁻²¹ mol/L(系統分析の第2属の条件)1.2×10⁻²⁰ mol/L1.2×10⁻⁸ mol/L(中性)1.2×10⁻⁴ mol/L棒の長さは濃度の桁(対数)。右へ1目盛り進むごとに10倍

※[S2−] = 1.2×10−22 ÷ [H+]2(25℃付近、H2S飽和0.1 mol/L)で計算。棒は10−22 mol/Lを起点にした対数の長さです。

沈殿ができるかどうかは、金属イオンの濃度とS2−の濃度を掛けたイオン積が、その硫化物の溶解度積(Ksp)を超えるかで決まります。溶解度積が小さい硫化物ほど、S2−が少ない酸性の液でも条件を満たして沈みます。

2価の金属イオンM2+が硫化物として沈む条件
M2+ + S2− ⇄ MS(固体)
[M2+][S2−] > Ksp(MS)なら沈殿ができる
Ksp:溶解度積。固体と釣り合っている飽和溶液の[M2+][S2−]の値で、小さいほど溶けにくい。Ag2Sのように1価のイオンなら[Ag+]2[S2−]になります。

図2:硫化物の溶解度積のはしご

棒が長いほど溶けにくい硫化物です。pH 0.5の線を越える硫化物は酸性でも沈み、届かない硫化物はpH 9まで上げると沈みます。

HgSAg₂SCuSPbSCdSSnSZnSFeS4×10⁻⁵³6.3×10⁻⁵⁰6.3×10⁻³⁶8.0×10⁻²⁸8.0×10⁻²⁷1.0×10⁻²⁵2.5×10⁻²²(届かない)6.3×10⁻¹⁸(届かない)pH 0.5の線(イオン積 1.2×10⁻²³)pH 9の線(1.2×10⁻⁶)

※棒の長さは −log Ksp(25℃)。金属イオン0.010 mol/L、H2S飽和の場合のイオン積を線で示しました。KspはCRC HandbookとLange’s Handbookの値(LibreTextsの表)で、ZnSは表の表記でせん亜鉛鉱の値(2.5×10−22)を使いました。同じ表にはウルツ鉱の値(1.6×10−24)もあり、資料により割り当てが異なることがあります。Ag2Sは[Ag+]2[S2−]で比べるので線の位置は少し変わりますが、どちらの液性でも沈みます。

計算例で確かめます。銅イオンと亜鉛イオンをそれぞれ0.010 mol/L含む液をpH 0.5にして硫化水素を飽和させると、イオン積はどちらも1.2×10−23です。硫化銅の溶解度積はこれより12桁以上小さいので沈み、硫化亜鉛は約20倍大きいので沈みません。

計算例:pH 0.5、金属イオン0.010 mol/L
イオン積 = 0.010 × 1.2×10−21 = 1.2×10−23
CuS:1.2×10−23 > 6.3×10−36 → 沈殿する
ZnS:1.2×10−23 < 2.5×10−22 → 沈殿しない
沈んだあと液に残る銅イオン
[Cu2+] = 6.3×10−361.2×10−21 = 5.3×10−15 mol/L
硫化亜鉛が沈み始めるpH(Zn2+ 0.010 mol/L)
[H+]2 = 0.010 × 1.2×10−222.5×10−22 = 4.8×10−3 → [H+] = 0.069 → pH 1.2
Ksp(25℃):CuS 6.3×10−36、ZnS(表の表記でせん亜鉛鉱)2.5×10−22。pH 1.2より酸性なら亜鉛は液に残ります。逆にpH 9では、残る亜鉛は約2×10−18 mol/Lまで下がる計算です。

同じ式を中性から塩基性に当てはめると、S2−が1万倍以上に増えるので、硫化亜鉛や硫化鉄の溶解度積も簡単に超えます。たとえばpH 9で鉄(II)イオンが沈んだあとに液に残る量は、6.3×10−18 ÷ 1.2×10−4 = 5.3×10−14 mol/Lです。

ここで使った数値は、考え方を確かめるための目安です。硫化水素の2段目の電離定数は測定が難しく、CRC Handbookは教科書より5桁小さい10−19を載せています。硫化物の溶解度積も資料や結晶の形で何桁も違うため、計算の答えより、硫化物どうしの順番と桁の差で読むのが確実です。

たとえば硫化亜鉛は同じ表のウルツ鉱型の値(1.6×10−24)を使うと、pH 0.5でも沈む計算になります。亜鉛は酸性で沈むグループとの境目にいるため、実際の分析では酸の濃さを決まった範囲にそろえて操作します。

酸性で沈むグループと塩基性で沈むグループは、金属のイオン化傾向の順にほぼ並んでいます。イオン化傾向が小さい銅・水銀・銀ほど硫化物も溶けにくく、亜鉛・鉄のようにイオンになりやすい金属は塩基性にしないと沈みません。

ただし、これは傾向であって理由ではありません。カドミウムの標準電極電位(−0.40 V)はニッケル(−0.26 V)より低く、イオン化傾向ではイオンになりやすいのに、硫化カドミウムは酸性で沈み、硫化ニッケルは沈みません。決めているのは、あくまで硫化物の溶解度積です。

硫化水素でできる沈殿と色の整理

硫化物の沈殿は黒いものが多いものの、硫化カドミウムの黄色、硫化亜鉛の白、硫化マンガンの淡い桃色のように、色で見分けやすいものもあります。どの液性で沈むかと色を組にして覚えると、系統分析の結果を読むときに役立ちます。

図3:硫化物の沈殿の色

上の段は酸性でも沈む硫化物、下の段は中性・塩基性にすると沈む硫化物です。黒以外の色を手がかりにします。

酸性でも沈む(第2属などの条件)中性・塩基性で沈む(第4属の条件)Ag₂SPbSCuSHgSCdSSnS黒黒黒黒黄褐色ZnSFeSNiSMnS白黒黒淡い桃色

※色は代表的な見え方です。硫化水銀は沈殿では黒いものができ、天然の辰砂(しんしゃ)は赤色です。硫化コバルトも黒い沈殿になります。

ただし、色だけで金属を決めることはできません。黒い硫化物はいくつもあり、粒の細かさや混ざり方でも見え方が変わります。系統分析では、沈殿をさらに溶かして別の試薬で確かめる操作を重ねて、どの金属かを確定させます。

酸性条件でも沈殿する陽イオンと色

強い酸性の液に硫化水素を通じても沈むのは、銀(Ag2S、黒)、鉛(PbS、黒)、銅(CuS、黒)、水銀(HgS、黒)、カドミウム(CdS、黄)、スズ(SnS、褐色)などです。どれも溶解度積が10−25以下の極めて溶けにくい硫化物で、S2−がわずかでも沈みます。

この中で目印になるのが硫化カドミウムの黄色で、厚生労働省のモデルSDSも「淡黄色または橙色」の固体としています。カドミウム・鉛・水銀は排水基準で厳しく管理される有害物質でもあり、この点は後半の排水処理の話につながります。

酸性でも沈殿する反応の例
Cu2+ + H2S → CuS↓(黒) + 2H+
Cd2+ + H2S → CdS↓(黄) + 2H+
2Ag+ + H2S → Ag2S↓(黒) + 2H+
↓は沈殿を表します。沈むたびにH+が出るので、液はさらに酸性に傾きます。検算:どの式も電荷は左右とも+2で釣り合います。

中性・塩基性条件で沈殿する陽イオンと色

アンモニア水などで中性から塩基性にすると沈むのが、亜鉛(ZnS、白)、鉄(FeS、黒)、ニッケル(NiS、黒)、コバルト(CoS、黒)、マンガン(MnS、淡い桃色)です。溶解度積が資料により10−24〜10−10程度と比較的大きいため、塩基性の液でないと沈殿の条件に届きません。

硫化亜鉛は、硫化物の中では数少ない白い沈殿で(PubChemでは白色〜灰白色)、亜鉛を確かめる手がかりになります。塩基性で硫化水素や硫化アンモニウムを加えても、ナトリウム・カリウム・カルシウムなどのイオンは硫化物として沈みません。

中性・塩基性で沈殿する反応の例(アンモニアで塩基性にした液)
Zn2+ + S2− → ZnS↓(白)
Fe2+ + S2− → FeS↓(黒)
Mn2+ + S2− → MnS↓(淡い桃色)
塩基性の液ではH2Sが電離してS2−(実際にはHS−も多い)が増えるため、溶解度積の大きな硫化物も沈みます。

系統分析では硫化物の沈殿が分離の軸になる

いくつもの金属イオンが混ざった液から、試薬を加える順番を決めて少しずつ沈殿として取り出し、何が入っているかを調べる方法が陽イオンの系統分析です。硫化水素は、液性を変えるだけで2つのグループを取り分けられるため、この分析の中心にある試薬です。

図4:陽イオンの系統分析の流れ

試薬を加えるたびに沈殿をろ過して取り分け、残った液を次の操作に回します。硫化水素は第2属と第4属で2回使います。

第1属希塩酸Ag+・Pb2+などが塩化物(白)で沈む
第2属酸性で硫化水素Cu2+・Cd2+・Hg2+・残りのPb2+などが硫化物で沈む
第3属アンモニア水Fe3+・Al3+・Cr3+が水酸化物で沈む
第4属塩基性で硫化水素Zn2+・Ni2+・Mn2+などが硫化物で沈む
第5属炭酸アンモニウムCa2+・Sr2+・Ba2+が炭酸塩で沈む
第6属最後まで残るNa+・K+などは炎色反応で確かめる

※日本の高校化学で一般的な6属の分け方です。属の番号や各属に入れるイオンは教科書・国によって違い、英語圏では硫化物を沈める属を第2属・第3属とすることもあります。

属の番号は教科書によって違うので、番号より「どの試薬で、どの液性で沈むか」で覚えるほうが確実です。最初に希塩酸で塩化物をつくる第1属を除くのは、銀や鉛を先に取り分けておくためで、塩化鉛は水に少し溶けるので一部が第2属に回ります。

第2属の操作では、液の酸性度の管理が要になります。国立台湾大学の実験テキストは、塩酸0.1〜0.3 mol/L(pHでは0.5〜1)でS2−を低く抑え、溶解度積の大きい硫化物を沈ませないとしています。

一方で酸が強すぎるとS2−が足りず、第2属が沈みきらないので、酸の濃さは弱すぎず強すぎない範囲にそろえます。先の計算で亜鉛が境目にいたように、この範囲がずれると分離の結果も変わってしまいます。

いまの学生実験では、有毒な硫化水素のガスをボンベから直接吹き込む代わりに、チオアセトアミドの水溶液を加えて温めることが多くなっています。チオアセトアミドが水と反応してゆっくり硫化水素を出すので、必要な量だけを液の中で発生させられます。

チオアセトアミドの加水分解(液の中で硫化水素をつくる)
CH3CSNH2 + H2O → CH3CONH2 + H2S
右辺のCH3CONH2はアセトアミド。検算:Cは2=2、Hは7=7、Nは1=1、Oは1=1、Sは1=1で釣り合います。

沈殿の差を広げる工夫もあります。南江堂の分析化学の教科書は、銅・ニッケル・コバルトが混ざった液にシアン化カリウムを加える例を挙げていて、それらは錯イオンになって沈まず、硫化カドミウムだけを沈めて確かめられます。こうした錯イオンの働きは、排水処理では逆に邪魔になります。

工場の品質管理や環境分析で金属の濃度を数字で決めるときは、ICP発光分光分析などの機器を使うのがふつうです。それでも、沈殿のできる順番から考える系統分析の発想は、分析の前処理や、排水・製錬で金属を分ける工程を理解する土台になります。

実際の工場では:重金属排水を硫化物で沈める

硫化物が溶けにくいことは、工場の排水処理で重金属を取り除く技術として使われています。めっきや電子部品、非鉄製錬、石炭火力の排煙脱硫などの排水には、カドミウム・鉛・水銀・亜鉛といった金属が溶けていることがあり、放流する前に沈殿として取り除かなければなりません。

フィルタープレスから落ちる灰色の脱水ケーキ

排水基準と、水酸化物法で残る課題

工場から川や海に出す水には、水質汚濁防止法に基づく排水基準があります。全国一律の基準はカドミウム0.03 mg/L、鉛0.1 mg/L、水銀0.005 mg/Lで、アルキル水銀は検出されないこと、亜鉛2 mg/L、銅3 mg/L、pH 5.8〜8.6(海域以外)です。

都道府県は条例でこれより厳しい上乗せ基準を決めることができ、カドミウムを0.01 mg/Lとしている県もあります。基準値は改正で厳しくなってきていて、CODのような有機物の指標とあわせて、工場の排水処理設備はこうした数字を下回るように設計されます。

いちばん広く使われるのは、水酸化ナトリウムや消石灰で液を塩基性にして、金属を水酸化物として沈める水酸化物法です。薬品が安く扱いやすい一方、水酸化物は硫化物より溶けやすいので、基準を満たすにはかなり高いpHまで上げる必要がある金属があります。

計算例:水酸化カドミウムとして沈めたときに残るカドミウム
Cd(OH)2 ⇄ Cd2+ + 2OH−  Ksp = [Cd2+][OH−]2 = 5.9×10−15
(pH 9)[OH−] = 10−5 → [Cd2+] = 5.9×10−1510−10 = 5.9×10−5 mol/L = 6.6 mg/L(基準の約220倍)
基準0.03 mg/L = 2.67×10−7 mol/L → [OH−] = 1.49×10−4 → pH 10.2以上が必要
KspはOpenStax Chemistry 2eの25℃の値。Cdのモル質量112.41 g/molで換算しました(5.9×10−5 × 112.41 = 6.6×10−3 g/L)。理論上の溶解度だけの計算で、実際の残留濃度は共存物質や固液分離の出来で変わります。

pHを10以上に上げると、今度は放流のためにpH 8.6以下まで酸で戻す工程が要ります。さらに亜鉛や鉛は両性金属で、強い塩基性にすると水酸化物が再び溶けてしまうので、金属ごとに沈みやすいpHが違い、混ざった排水では1つのpHで全部を下げきれないことがあります。

もう1つの難しさが、EDTAのように金属をつかまえて溶かしたままにするキレート剤です。めっき液や洗浄液に含まれるキレート剤が排水に混ざると、金属は錯体のまま液に残り、pHを上げても水酸化物になりにくくなります。系統分析でシアン化物イオンが沈殿を止めたのと同じ現象です。

硫化物法とキレート系処理剤の使い分け

硫化物法は、硫化ナトリウム(Na2S)や水硫化ナトリウム(NaHS)を加えて、金属を硫化物として沈める方法です。硫化物は水酸化物よりはるかに溶けにくく、中性付近でも金属を低い濃度まで下げられるのが利点で、溶解度積の差は前の章で見たとおり何桁にもなります。

硫化ナトリウムによる硫化物法(カドミウムの例)
Cd2+ + Na2S → CdS↓ + 2Na+
液が酸性に傾くと硫化水素が出る
Na2S + 2HCl → 2NaCl + H2S↑
↑は気体として出ていくことを表します。検算:上の式は電荷が左右とも+2、下の式はNa・Cl・H・Sの数がそれぞれ左右で一致します。

弱点は、硫化物イオンが酸に触れると硫化水素になることです。液が酸性に傾く、入れすぎた硫化物が残る、といった管理の失敗はそのまま悪臭と中毒の危険につながります。できる硫化物の粒は細かいので、凝集剤で大きな塊にしないと沈殿槽やろ過で分けにくいことも課題です。

そこで広く使われているのが、ジチオカルバミン酸塩などを主成分とするキレート系の重金属処理剤です。分子の硫黄原子が金属と強く結びついて溶けない錯体をつくるので、EDTAを含む排水でもカドミウムや亜鉛を基準値以下まで下げられることが、東ソーの報告(2016年)で示されています。

ただし、これは同社の自社試験の結果です。EDTA 260 mg/L・pH 7のめっきモデル排水(ZnまたはCd 10 mg/L)に、同社の排水用処理剤TX-55(構造は非開示)を200〜300 mg/L、塩化鉄(III)の凝集剤を800 mg/L加え、7 μmのろ紙でろ過した条件での値です。

同じ報告によると、ごみ焼却の飛灰に含まれる鉛などもジチオカルバミン酸塩を混ぜて不溶化してから埋め立てています。無機の硫化物(NaHS・Na2S)は、処理中の硫化水素の発生や、埋め立て後に酸化されて金属が溶け出すことが問題になるため、飛灰には使われないと同社は説明しています。

一方で、処理剤の種類によっては分解して硫化水素や二硫化炭素を出すものもあります。キレート系でも、薬剤の選び方と換気の管理が安全を左右します。

同じ報告では、Zn 10 mg/L・EDTA 260 mg/Lのモデル排水0.5 Lを空間容積3.5 Lの容器で処理しました。高分子アミン系の市販品を200 mg/L加えた試験で、気相の硫化水素が14 ppmに達しています。同社のTX-55は0.25 ppm未満で、報告が引く作業環境の基準は1 ppmです。

図5:重金属排水の処理の流れ

沈殿をつくるだけでは終わらず、粒を大きくして分け、処理水のpHを戻し、汚泥を処分するところまでが1つの工程です。

沈殿をつくる
01受け入れ・pH調整工程ごとの排水を集め、薬品が働くpHに合わせる
02反応槽水酸化物法・硫化物法・重金属処理剤で金属を不溶化
03凝集槽鉄塩・アルミニウム塩の凝集剤で細かい粒を大きな塊に
分けて出す
04沈殿槽塊(スラッジ)を沈め、上澄みを取り出す
05ろ過・中和・放流上澄みをろ過し、pHを排水基準の範囲に戻して放流
06汚泥の脱水・処分沈殿を脱水して金属を含む汚泥として処分・再資源化

※反応槽→凝集槽→沈殿槽→ろ過の順は東ソー研究・技術報告(第60巻、2016年)の排水処理フローによります。pH調整・中和・汚泥処分は一般的な構成として加えたもので、設備の組み方は工場ごとに違います。

凝集の段階では、ミョウバンと同じアルミニウム塩や塩化鉄(III)が、細かい沈殿の粒をまとめる役目をします。3つの方法の得手不得手を並べると、次の表のようになります。

比べる点水酸化物法硫化物法キレート系の重金属処理剤
主な薬品水酸化ナトリウム、消石灰硫化ナトリウム、水硫化ナトリウムジチオカルバミン酸塩など
沈殿の形金属の水酸化物金属の硫化物金属と処理剤の不溶性の錯体
得意なこと薬品が安く、pHで制御しやすい中性付近でも低い濃度まで下げられるキレート剤(EDTAなど)を含む排水にも効く
苦手なこと金属ごとに適したpHが違う。亜鉛・鉛は強い塩基性で再び溶ける。錯体になった金属は沈みにくい酸性に傾くと硫化水素が出る。入れすぎた硫化物が残る。粒が細かく分けにくい薬剤によっては分解して硫化水素や二硫化炭素を出す。薬剤費がかかる
管理のポイント反応時と放流時の2段のpH管理pHと注入量の管理、硫化水素の検知と換気注入量の管理、ガスを出しにくい薬剤の選定
出典:東ソー研究・技術報告 第60巻(2016年)「排水用重金属処理剤(TX-55)の開発」、OpenStax Chemistry 2e Appendix J をもとに整理。方法を組み合わせて使う工場も多く、実際の選び方は排水の成分と量で決まります

製錬でも硫化物が主役になる

金属の硫化物は、排水の中だけでなく、金属をつくる原料と工程の中にも登場します。銅製錬では鉱石の硫黄をどう扱うか、ニッケルの湿式製錬では硫化物の沈殿で金属をどう分けるかが、それぞれの工程の要になっています。

銅製錬:硫化銅の鉱石から硫黄を回収する

銅の原料になる銅精鉱は、硫黄を多く含む硫化物の鉱石を濃縮したものです。住友金属鉱山の東予工場では、自熔炉で銅精鉱の硫黄分を燃やした熱で原料を溶かし、銅の濃度が60〜65%のマットをつくり、転炉で残りの硫黄や鉄を取り除きます(日本銅センター「銅」第195号)。

燃えた硫黄は二酸化硫黄のガスになり、同工場は原料に含まれる硫黄の99.9%以上を回収しているとされます(硫酸などとして回収。同誌の工場紹介による)。

国内の硫酸は2025年に約557万トンつくられ、その82%が製錬ガスを原料にしていて(硫酸協会)、接触法の硫酸工場は製錬所と一体で動いています。

硫黄を除いてできた粗銅は、その後銅の電解精錬で純度99.99%の電気銅になります。

ニッケル製錬:硫化水素で亜鉛を先に分け、ニッケルを沈める

ニッケル品位の低い酸化鉱石からニッケルを取り出す高圧酸浸出法(HPAL)では、系統分析と同じ考え方が工場の規模で使われます。住友金属鉱山の特許(WO2016139858A1)には、鉱石を硫酸で溶かしたあと、中和してpHを3〜3.5程度にし、鉄(III)やアルミニウムを沈殿として除く工程が書かれています。

特許では、その後に液へ硫化水素ガスを吹き込み、ニッケルとコバルトの混合硫化物を沈めるとされ、亜鉛があれば先に硫化物として分けられるとも書かれています。

フィリピンのコーラルベイ・ニッケルについての学会発表(TMS、2004年)は、硫化水素でニッケルをほとんど失わずに亜鉛を先に取り除けるとしていて、硫化物の沈みやすさの差を使った分離そのものです。

同発表では、沈めた混合硫化物は日本に運ばれ、愛媛県新居浜の工場で電気ニッケルに精製される計画です。以上は特許と発表に書かれた工程で、現在の操業条件を示すものではありません。ニッケルやコバルトは電池材料にもなるため、硫化物の沈殿は資源の確保ともつながっています。

硫化水素の毒性と作業環境の管理

硫化水素は腐った卵のような臭いをもつ無色の気体で、空気より重く(蒸気密度1.19)、ピットやタンクの底、マンホールにたまりやすい性質があります。厚生労働省のモデルSDSは、吸入したときの急性毒性を区分2とし、中枢神経系・心臓血管系・呼吸器系に重い障害を起こす物質としています。

同じSDSは、ヒトが吸い込んだときの症状として頭痛や吐き気に加え、嗅覚の麻痺、意識の消失、呼吸の麻痺による死亡を挙げています。臭いで気づける気体だと思いがちですが、濃度が高いと鼻がきかなくなるので、臭いが消えたことは安全の証拠になりません。

労働安全衛生法では特定化学物質(第二類物質)にあたり、作業環境の管理濃度は1 ppm、日本産業衛生学会の許容濃度は5 ppmです。

酸素欠乏症等防止規則が定める硫化水素の危険がある場所では、作業前に濃度を測り、作業が終わるまで10 ppm以下に換気します。換気できないときは呼吸用保護具を使い、関係者以外の立ち入りを禁止することが求められています。

これは厚生労働省の通達(2015年)に書かれた措置です。通達の題名は温泉関係施設向けですが、酸欠則の対象の場所での硫化水素中毒の防止措置として示されています。

図6:pHで変わる硫化水素の割合

液に溶けている硫化物(H2S+HS−)のうち、気体として出ていきやすいH2Sの割合です。pHが7を下回ると半分以上がH2Sになります。

99%92%52%10%1%pH 5pH 6pH 7pH 8pH 9酸性側(赤)ほど、硫化物を含む液から硫化水素が出やすい

※H2Sの割合 = [H+] ÷([H+] + K1)、K1 = 9.1×10−8で計算。実際に気体として出る量は、液の温度、かき混ぜ方、液面の広さ、換気でも変わります。

図6のとおり、硫化物を含む液は中性付近でも半分ほどがH2Sの形で、酸性に傾くとほぼすべてがH2Sになります。硫化物を含む排水や汚泥に酸性の排水を混ぜないことが、排水処理設備やピットの清掃での中毒を防ぐ第一の対策です。

現場では、槽やピットに入る前に酸素と硫化水素を測れるガス検知器で濃度を確かめ、換気を続けながら作業し、監視人を置きます。どの作業でどれだけ吸い込むおそれがあるかはリスクアセスメントで見積もり、作業者が実際に吸い込む濃度は個人ばく露測定で確かめられます。

実験室で硫化水素を使う系統分析も、同じ考え方で安全を確保します。チオアセトアミドを使う場合も操作はドラフトの中で行い、硫化物を含む廃液は酸性の廃液と混ぜずに分けて回収します。

硫化水素と沈殿のよくある質問

硫化水素を通じても沈殿しない陽イオンはどれですか?

ナトリウム・カリウムなどのアルカリ金属と、カルシウム・バリウムなどのアルカリ土類金属のイオンは、酸性でも塩基性でも硫化物として沈みません。系統分析では、これらは炭酸塩にして沈めるか、最後まで液に残して炎色反応で確かめます。

鉄(III)イオンの液に硫化水素を通じるとどうなりますか?

硫化水素が還元剤として働き、鉄(III)イオンは鉄(II)イオンに、硫化水素は硫黄になって液が白く濁ります(2Fe3+ + H2S → 2Fe2+ + S + 2H+)。系統分析で第2属のあとに硫化水素を追い出し、硝酸で鉄(III)に戻すのはこのためです。

硫化物の溶解度積が資料によって違うのはなぜですか?

水の中の硫化物イオンはごくわずかで直接測りにくく、硫化水素の2段目の電離定数そのものが資料で何桁も違うためです。さらに硫化亜鉛のように結晶の形で溶けやすさが変わる物質もあるので、同じ資料の値どうしで順番と桁を比べるのが確実です。

アルミニウムイオンは硫化物として沈みますか?

沈みません。アルミニウムイオンやクロム(III)イオンを含む液を塩基性にして硫化水素を加えると、硫化物ではなく白い水酸化アルミニウムなどの水酸化物が沈みます。系統分析で両者を第3属としてアンモニア水で先に分けるのはこのためです。

まとめ

この記事のまとめ
  • 硫化水素を飽和させた液の硫化物イオン濃度は[H+]の2乗に反比例し、pH 0.5とpH 9では1017倍違う(ルシャトリエの原理)
  • 沈むかどうかはイオン積と溶解度積の比較で決まり、溶解度積が極めて小さいAg・Pb・Cu・Hg・Cd・Snの硫化物は酸性でも沈み、Zn・Fe・Ni・Co・Mnの硫化物は中性・塩基性で沈む
  • 色は黒が多く、CdSは黄、ZnSは白、MnSは淡い桃色、SnSは褐色。ただし色だけでは金属を決められない
  • 系統分析では硫化水素を酸性と塩基性で2回使い、第2属は塩酸0.1〜0.3 mol/L程度に酸の濃さをそろえる
  • 工場では重金属排水の硫化物法・キレート系処理剤やニッケル製錬の分離に同じ原理が使われ、硫化水素の中毒を防ぐpH・換気・測定の管理が欠かせない

硫化物の沈殿は、イオンの濃度が平衡でどれだけ動くか、物質ごとの溶けにくさがどれだけ違うかを、試験管の色の違いとして目で見せてくれる反応です。同じ考え方が、系統分析から排水処理、製錬まで、金属を分ける技術の共通の土台になっています。

化学工場で使われる代表的な製法をまとめて見るなら無機化学の工業的製法まとめを、化学メーカーの仕事の全体像は次の記事を参考にしてください。

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プラント機器メーカーとプラントメーカーで約10年、設備の提案・設計・試運転に携わったのち、Webマーケターに転身。現在はBtoB製造業専門のWebコンサルタントとして、メーカーの情報発信を支援しています。エネルギー管理士/第三種電気主任技術者。工業技術ブログを2017年から運営(500本以上執筆)、YouTube登録者約2万人、Xフォロワー約1万人。

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