ベンゼン環の構造式の書き方|中の○の意味・共鳴と付加より置換が起きる理由

夕方の石油化学コンビナートに並ぶ芳香族プラントの蒸留塔と空冷器

ベンゼン環の構造式は、六角形の辺に二重結合を1本おきに3本描くケクレ構造で書くのが基本で、六角形の中に○を描く書き方も同じベンゼンを表しています。○は、6個の炭素にまたがって環全体に広がったπ電子(パイ電子)の雲を1つの記号で示したものです。

試験や資料でどちらを書くか迷ったら、まず記入例や社内の様式に合わせ、指定がなければ最も広く使われているケクレ構造で書けば問題ありません。○の意味が分かると、2つの書き方を目的に応じて選べるようになります。

電子が環全体に広がっていることは、6本の炭素どうしの結合がすべて同じ139.7 pmになることや、予想より約150 kJ/mol安定になることとして測定値に表れます。この安定さが、ベンゼンが付加より置換を起こしやすい理由です。

同じ安定さは、ナフサからつくられるベンゼンがスチレン・フェノール・ナイロン原料へと形を変えていく化学工業の土台にもなっています。環が壊れにくいので、置換基を付けたり水素を付けたりしながら、大量の原料として扱えるからです。

目次

ベンゼン環の真の姿:π電子が環全体に広がっている

ベンゼン(C6H6)の6個の炭素は正六角形の平面に並び、隣の炭素と水素とのあいだをσ結合(シグマ結合)でつないでいます。σ結合は原子と原子を結ぶ軸の上に電子が集まる結合で、この骨格だけで分子の形、つまり平らな正六角形が決まります。

二重結合は、このσ結合に、もう1本のπ結合が重なってできています。π結合は、それぞれの炭素が環の面に垂直に持つp軌道(上下に伸びた亜鈴形の電子の入れ物)が横に重なってできる結合で、電子は結合軸の上下に分かれて存在します。

図1:p軌道が重なってπ電子の雲になる

6個の炭素が持つp軌道は、隣どうしで横に重なり合い、環の上と下にドーナツ状の電子の雲をつくります。電子は特定の2個の炭素のあいだに閉じ込められていません。

横に重なる炭素6個にp軌道が1つずつ(σ結合の骨格は平面)環の上下に広がるπ電子の雲=非局在化(6個のπ電子)
炭素6個にp軌道が1つずつ(σ結合の骨格は平面)横に重なる環の上下に広がるπ電子の雲=非局在化(6個のπ電子)

※図は環を斜め上から見た模式図です。炭素についた水素とσ結合の線は省いています。

ベンゼンでは、6個の炭素のp軌道がどれも同じ条件で隣と重なるため、どこか2か所の組み合わせだけが二重結合になるわけではありません。6個のπ電子は環の上下にドーナツ状の雲となって広がり、6個の炭素全体で共有されています。

このように電子が特定の原子のあいだに閉じ込められず、分子の広い範囲に広がることを非局在化と呼びます。非局在化した状態は、二重結合の位置だけが違う複数の構造式(共鳴形)を重ね合わせたものとして表せるので、この見方を共鳴と呼び、ベンゼンは共鳴によって安定化している、と言い表します。

よくある誤解が、二重結合の位置が右回り・左回りに素早く入れ替わっている、という理解です。ケクレ自身も1872年に結合が行き来するという考えを出しましたが、現在の理解ではベンゼンは2つの形を行き来しておらず、最初から1つの中間的な姿をとっています。

ベンゼン環の2つの構造式:ケクレ構造と○の書き方

ベンゼン環の書き方には、二重結合を3本描くケクレ構造と、六角形の中に○を描く書き方の2つがあります。どちらも同じ分子を表し、違うのは「π電子の広がりをどう記号にするか」だけです。

図2:ベンゼン環の構造式の書き方

ケクレ構造は二重結合の位置が違う2つの形を↔でつなぎ、○の書き方は6個のπ電子を1つの円で表します。どの書き方でも、六角形の頂点が炭素で、水素は省略します。

CH₃ケクレ構造(2つの共鳴形)↔ は共鳴の矢印中に○を描く書き方○=6個のπ電子置換基が付くとき頂点から線を出す(例:トルエン)頂点は炭素、Hは省略
CH₃ケクレ構造(2つの共鳴形)↔ は共鳴の矢印頂点は炭素、Hは省略中に○を描く○=6個のπ電子置換基が付くとき頂点から線を出す(例:トルエン)

※↔は共鳴の矢印で、2つの形が実際に入れ替わることを表す平衡の矢印(⇄)とは意味が違います。

ケクレ構造は、ドイツの化学者ケクレが1865年に示した、炭素6個が輪になって単結合と二重結合が交互に並ぶ形です。二重結合の位置が違う2通りの書き方があり、2つを↔でつないで、本当の姿がその中間であることを示します。

中に○を描く書き方は、イギリスのアーミットとロビンソンが1925年の論文で、6個の電子のまとまりを表す記号として使ったのが始まりとされます。○は環の上下に広がる6個のπ電子をまとめて表すので、1つの図で済む反面、電子が何個あるかや、反応でどう動くかは図から読み取れません。

どちらの書き方でも、六角形の頂点はそれぞれ炭素を、何も書いていない頂点には水素が1つ付いていることを表します。トルエンのように置換基が付くときは、図2の右のように頂点から外へ線を出し、その先に置換基を書きます。

ベンゼン環は二重結合と単結合の混在か、1.5重結合か

ケクレ構造の見た目どおりなら、ベンゼンには単結合3本と二重結合3本が混ざっているはずです。一方、○の書き方は、6本の結合がどれも単結合と二重結合の中間、いわば1.5重結合の性格を持つと考えます。どちらが本当の姿に近いかは、結合の長さと反応熱という2つの測定値で確かめられます。

結合の長さはすべて139.7 pm

結合の長さは、6本の結合が同じ種類かどうかを直接示します。二重結合は電子が多いぶん原子を強く引き寄せるので、単結合より短くなり、もし単結合と二重結合が混ざっていれば、長い辺と短い辺が交互に並ぶ形になるはずです。

図3:炭素と炭素の結合の長さ

ベンゼンの6本の結合は、すべて単結合と二重結合の間の同じ長さです。

エタンの単結合C–C153.6 pmベンゼンの6本すべて同じ139.7 pmエチレンの二重結合C=C133.9 pm0100 pm
エタンの単結合 C–C153.6 pmベンゼンの6本(すべて同じ)139.7 pmエチレンの二重結合 C=C133.9 pm0100 pm

※実験値(NIST CCCBDB、出典 Herzberg 1966)。1 pm(ピコメートル)は1兆分の1メートル。

実際の測定では、ベンゼンの炭素どうしの結合は6本とも139.7 pmで、エタンの単結合153.6 pmとエチレンの二重結合133.9 pmの間に入ります。長い辺と短い辺の区別はなく、正六角形なので、二重結合と単結合の混在という読み方は実際の分子に合いません。

水素化熱で比べる安定化エネルギー

反応熱は、ベンゼンが二重結合3つの分子よりどれだけ安定かを示します。物差しにするのは、二重結合を1つ持つシクロヘキセンに水素を付けてシクロヘキサンにするときの熱で、二重結合1本あたり約119 kJ/molの熱が出ます。

二重結合1本の水素化(シクロヘキセン → シクロヘキサン)
C6H10 + H2 → C6H12 ΔH = −123.1 − (−4.3) = −118.8 kJ/mol
二重結合が3本あるとした場合の予想
−118.8 × 3 = −356.4 kJ/mol
実際のベンゼンの水素化
C6H6 + 3H2 → C6H12 ΔH = −123.1 − 82.9 = −206.0 kJ/mol
差(ベンゼンの安定化エネルギー)
356.4 − 206.0 = 約150 kJ/mol
25℃・すべて気体、1 molあたり。ΔH =(生成物の生成エンタルピー)−(原料の生成エンタルピー)で、生成エンタルピーはシクロヘキサン −123.1、シクロヘキセン −4.3、ベンゼン +82.9、水素 0 kJ/mol(NIST Chemistry WebBook)。

ベンゼンを水素化したときの熱は206 kJ/molで、二重結合3本から予想される356 kJ/molより約150 kJ/molも少なくなります。出てくる熱が少ないのは、もとのベンゼンが最初からそのぶんエネルギーの低い、安定な状態にあるからです。

図4:水素化熱で見るベンゼンの安定化

二重結合3つの仮想分子と実際のベンゼンを、同じシクロヘキサンまで水素化したときの熱で比べます。出る熱の差がそのまま安定化の大きさです。

仮想のシクロヘキサトリエン(二重結合3つ)+3H₂実際のベンゼン+3H₂予想 −356 kJ実測 −206 kJ安定化約150 kJシクロヘキサン C₆H₁₂25℃・すべて気体、1 molあたり(NISTの生成エンタルピーから計算)エネルギー
仮想のシクロヘキサトリエン(二重結合3つ)+3H₂実際のベンゼン+3H₂予想−356 kJ実測−206 kJ安定化約150 kJシクロヘキサン C₆H₁₂25℃・すべて気体、1 molあたり(NISTの生成エンタルピーから計算)

※シクロヘキサトリエンは「二重結合が3つ交互にある」と仮定した、実在しない比較用の分子です。

この約150 kJ/molを安定化エネルギー(共鳴エネルギー)と呼びます。π電子が環全体に広がることで生まれる安定さで、6本の結合が同じ長さになることと合わせて、○の書き方が表している姿のほうが実際のベンゼンに近いと分かります。反応熱の考え方はエンタルピーの解説でも扱っています。

ベンゼンのように、環状にπ電子が非局在化して特別に安定な性質を芳香族性と呼びます。IUPACの勧告も、芳香族の分子は環状のπ電子系に一般に4n+2個(nは0、1、2…)の電子を持つとしており、ベンゼンの6個はn=1にあたります。

付加より置換が起きやすい理由

付加と置換の起こりやすさの違いは、反応のあとに環の安定さが残るかどうかで決まります。付加では二重結合に原子が付いて環のπ電子の輪が切れ、約150 kJ/molの安定化を失いますが、置換では水素1個が別の原子に入れ替わるだけなので、反応が終わると6個のπ電子の輪がそのまま戻ります。

そのため、エチレンのような二重結合には室温ですぐ付く臭素も、ベンゼンには触媒なしではほとんど付きません。臭化鉄(III)を触媒にすると、水素1個が臭素に置き換わるブロモベンゼンができ、濃硫酸と濃硝酸の混酸ではニトロベンゼンができます。

臭素化(触媒 FeBr3)
C6H6 + Br2 → C6H5Br + HBr
ニトロ化(濃硫酸+濃硝酸)
C6H6 + HNO3 → C6H5NO2 + H2O
どちらも、環の水素1個が別の原子・原子団に入れ替わる置換反応です。反応の途中では環の電子の輪がいったん崩れたカルボカチオンができ、最後にH+が外れることで芳香族性が戻ります。

置換反応の途中では、求電子剤(電子を求めて近づく陽イオンなど)が環に付き、輪がいったん崩れた中間体ができます。付加へ進まずにH+が外れるのは、安定な芳香族の形に戻れるからで、置換基によって次に入る位置が決まるしくみはオルトパラ配向性とメタ配向性で詳しく扱っています。

ベンゼンに付加させること自体はできますが、条件は厳しくなります。工場でシクロヘキサンをつくる水素化は、純度98%以上のベンゼンと過剰の水素を金属触媒に通し、80〜300℃・約30 barという高温・高圧で行っています。

どちらの構造式を書けばよいか:記入例と目的で使い分ける

構造式を書く場面では、まず記入例や指定の様式に合わせるのが確実です。試験の構造決定の問題や社内の報告書の様式に記入例があればそれに従い、指定がなければ、最も広く使われているケクレ構造で書けば誤りにはなりません。

国際純正・応用化学連合(IUPAC)の2008年の勧告は、ベンゼンは慣例的に単結合3つと二重結合3つで描かれるが、実際には6本の結合は区別できない、としています。そのうえで、○は非局在化を特に強調したいときに使い、それ以外はケクレ構造のどちらの並びで書いてもよいとしています。

目的別に分けると、使い分けの目安は次のとおりです。

  • 試験の答案・社内の報告書:記入例や様式に合わせ、指定がなければケクレ構造
  • 反応のしくみの説明:電子の動きを矢印で描くので、二重結合の位置が分かるケクレ構造
  • 安定さ・芳香族性の説明:電子の広がりを見せたいので、○の書き方
  • ナフタレンのように環が2つ以上つながった分子:○は使わずケクレ構造(IUPACは隣り合う環の両方に○を描くことを避けるよう勧めている)

ナフタレンで○を避けるのは、2つの環が共有する辺の電子が、どちらの○に属するのか分からなくなるからです。ベンゼン環1つの○は6個のπ電子を表しますが、ナフタレンのπ電子は全部で10個なので、○を2つ描くと12個あるように見えてしまいます。

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芳香族の計算で使う数字:ベンゼンの分子量78

ベンゼン環を含む化合物を芳香族化合物と呼び、その分子量の計算では、ベンゼンC6H6の分子量78が出発点になります。炭素12、水素1の概数で計算すると72+6=78で、ここから置換基のぶんを足し引きすれば多くの芳香族の分子量がすぐ出ます。

ベンゼンの分子量
C6H6:12 × 6 + 1 × 6 = 78(精密には 12.011 × 6 + 1.008 × 6 = 78.11)
水素1個を置換基に置き換える
トルエン C6H5CH3:78 − 1 + 15 = 92
アニリン C6H5NH2:78 − 1 + 16 = 93
フェノール C6H5OH:78 − 1 + 17 = 94
ニトロベンゼン C6H5NO2:78 − 1 + 46 = 123
置換基の式量:−CH3 15、−NH2 16、−OH 17、−NO2 46(原子量 C 12、H 1、N 14、O 16 の概数)。

逆に、分子量93の芳香族と分かれば、93から78を引いて水素1個分を足した16が置換基の式量なので−NH2、つまりアニリンだと見当がつきます。分子量92なら同じ計算で15となり、メチル基が付いたトルエンです。

実務では、この足し引きが原料と製品の量の計算に使えます。ベンゼン78 kgをすべてニトロベンゼンにすれば理論上123 kgになるように、物質量(mol)でそろえれば反応の前後の重さが比で出せます。混合物の平均の分子量の求め方は平均分子量の解説で扱っています。

実際の工場では:BTX(ベンゼン・トルエン・キシレン)をナフサからつくる

ベンゼン環が安定で壊れにくいことは、工業ではベンゼンを原料として大量に扱えることを意味します。ベンゼンは、メチル基が1つ付いたトルエン、2つ付いたキシレンとまとめてBTXと呼ばれ、石油からとれるナフサを原料に、製油所や石油化学コンビナートの芳香族プラントでつくられています。

欧州委員会の技術資料(BREF)によると、世界の芳香族プラントの原料は約68%が接触改質のリフォーメート、約28%がナフサ分解の分解ガソリンです。石炭からのコークス炉由来は約3%にとどまり、ナフサ自体は原油を蒸留して分けた留分で、その分け方は石油の分留で解説しています。

接触改質:ナフテンから水素を抜いて芳香族にする

接触改質は、重いナフサを白金系の触媒に通し、水素の加圧下で500℃前後に加熱して芳香族を増やす工程です。主な反応は、シクロヘキサンのような環状の飽和炭化水素(ナフテン)から水素を抜いてベンゼン環にする脱水素で、前の章で見た水素化のちょうど逆向きの反応です。

ナフテンの脱水素(接触改質の主な反応の例)
C6H12 → C6H6 + 3H2 ΔH = +206.0 kJ/mol
水素化(−206.0 kJ/mol)の逆反応なので吸熱です(25℃・すべて気体)。高温にして熱を与え続け、水素が抜ける方向へ進めます。

ここでできる改質ナフサ(リフォーメート)はオクタン価が高く、ガソリンの基材にもなるので、製油所では化学原料に回す量とガソリンに回す量を配分しています。ガソリンの性能を表す数字についてはオクタン価とセタン価で扱っています。脱水素で出る水素は、製油所の脱硫装置などで使われます。

ナフサ分解の分解ガソリン

エチレンやプロピレンをつくるナフサ分解炉(スチームクラッカー)からは、副産物として芳香族を多く含む分解ガソリンが出ます。分解ガソリンには反応しやすい不飽和の成分が混ざっているため、まず水素化して安定にしてから芳香族の抽出へ送ります。

エチレン設備の能力が国内で減ると、分解ガソリンの量も一緒に減るので、ベンゼンの調達にも影響が及びます。国内のナフサ分解の再編については西日本のエチレン集約で取り上げています。

抽出と蒸留でベンゼン・トルエン・キシレンに分ける

リフォーメートや分解ガソリンには、芳香族と、沸点の近い芳香族以外の炭化水素が混ざっています。そこで、芳香族だけをよく溶かすスルホランなどの溶剤を抽出塔で向流に流し、溶剤に溶けた芳香族を取り出してから、蒸留でベンゼン・トルエン・キシレンに分けます。

BREFによれば、溶剤の回収塔は溶剤の温度を下げるために真空で運転し、溶剤と水は外へ出さない閉じた循環で使います。芳香族を抜いた残り(ラフィネート)はガソリンの基材やナフサ分解の原料に戻され、余ったトルエンは水素化脱アルキルや不均化でベンゼン・キシレンに変えることもあります。

図5:BTXができるまで

原油から分けたナフサを、接触改質かナフサ分解で芳香族の多い油にし、溶剤で芳香族だけを抜き出してから蒸留で3つに分けます。

STEP 1原油を蒸留してナフサに製油所の常圧蒸留装置で、沸点の範囲ごとに分けたガソリン相当の留分
STEP 2接触改質(約68%)白金系触媒・500℃前後でナフテンを脱水素し、芳香族の多いリフォーメートに
STEP 3ナフサ分解(約28%)エチレンをつくる分解炉の副産物の分解ガソリンを、水素化して安定にする
STEP 4溶剤で芳香族を抽出スルホランなどに芳香族だけを溶かし、残りはガソリン基材や分解原料へ
STEP 5蒸留でB・T・Xに分ける沸点の違いでベンゼン・トルエン・キシレンに。キシレンはさらに異性体を分ける
STEP 6誘導品の工場へベンゼンはスチレン・フェノール・シクロヘキサン、パラキシレンはPET原料へ

※割合は世界の芳香族プラントに入る原料の内訳(欧州委員会 BREF、2017年)。残り約3%はコークス炉由来。

ベンゼンの行き先:スチレン・フェノール・ナイロン原料

芳香族プラントで取り出したベンゼンは、ほとんどがそのまま製品にはならず、環に別の原子団を付けたり環を変えたりして、樹脂や繊維の原料になります。環が壊れにくいので、置換や付加を1段ずつ重ねて目的の分子に近づけられるのが、ベンゼンが化学工業の起点になっている理由です。

図6:ベンゼンの主な行き先(米国の例)

原料として使われるベンゼンの約半分がスチレンの原料になり、フェノール用のクメン、ナイロン用のシクロヘキサンが続きます。

エチルベンゼン 53%スチレンにしてポリスチレン・ABS樹脂などへ
クメン 22%フェノールとアセトンにして樹脂・ポリカーボネート原料へ
シクロヘキサン 12%アジピン酸・カプロラクタムを経てナイロンへ
ニトロベンゼン 5%アニリンにしてウレタン原料のMDIへ

※米国国家毒性プログラム(NTP)「Report on Carcinogens」第15版(2021年)が載せる米国の用途の内訳で、元の調査年は古い可能性があります。ほかに洗剤原料のアルキルベンゼン3%、クロロベンゼンなど5%。地域や年で割合は変わります。

エチルベンゼンからスチレンへ

最大の用途は、ベンゼンにエチレンを付けたエチルベンゼンを経て、ポリスチレンの原料のスチレンにする流れです。エチルベンゼンはベンゼンへの置換(フリーデル・クラフツ反応)でつくり、触媒には塩化アルミニウムのほか、副生物の少ないゼオライトが使われています。

アルキル化(置換)→ 脱水素
C6H6 + C2H4 → C6H5C2H5(エチルベンゼン)
C6H5C2H5 ⇄ C6H5CH=CH2(スチレン)+ H2
脱水素は吸熱の可逆反応で、鉄・クロム系の酸化物にカリウムを加えた触媒を使い、約620℃・低圧で行います(欧州委員会 BREF、2017年)。

脱水素で外れるのはエチル基の水素で、ベンゼン環そのものは反応の前後で変わりません。高温でも環が壊れないことが、ベンゼン環の安定さの実用的な表れで、スチレンはこの環を残したまま重合してポリスチレンやABS樹脂になります。

クメンからフェノールへ

2番目に多い用途が、ベンゼンにプロピレンを付けたクメンを空気で酸化し、フェノールとアセトンを同時につくるクメン法です。フェノールはフェノール樹脂やポリカーボネート用のビスフェノールAの原料になり、反応式と工場のしくみはクメン法の記事で詳しく扱っています。

フェノールからは、解熱鎮痛薬や湿布の成分の原料になるサリチル酸もつくられます。その製法と性質はサリチル酸メチルとアセチルサリチル酸の記事にまとめています。

シクロヘキサンからナイロンへ

3番目の用途のシクロヘキサンは、ベンゼンに水素を付加してつくります。置換が得意なベンゼンにあえて付加を起こす工程で、純度98%以上のベンゼンと過剰の水素を金属触媒に通し、80〜300℃・約30 barで反応させ、強く発熱する反応の熱を各反応器で除いています。

ベンゼンの水素化(付加)
C6H6 + 3H2 → C6H12(シクロヘキサン) ΔH = −206.0 kJ/mol
25℃・すべて気体での値。シクロヘキサン1 tあたりに直すと、206.0 kJ/mol ÷ 84.16 g/mol × 106 g ≒ 2.4×106 kJ(約2.4 GJ)の熱が出ます。

できたシクロヘキサンは触媒で酸化してシクロヘキサノンとシクロヘキサノールの混合物にし、さらに硝酸で酸化するとナイロン66の原料のアジピン酸になります。シクロヘキサノンからはナイロン6の原料のカプロラクタムもつくられます。

4番目のニトロベンゼンは、前の章の置換反応(ニトロ化)でつくり、水素で還元してアニリンにします。アニリンは染料の原料にもなり、アゾ染料ができるしくみはジアゾカップリングで解説しています。

こうした誘導品のつながりが化学業界の取引の形をつくっていることは、化学業界の構造の記事でも整理しています。

ベンゼンの有害性と規制:特化則・ガソリン・環境基準

密閉式のサンプリング箱から試料瓶を取り出す保護手袋の作業者の手元

大量に使われるベンゼンは、人の健康への影響がはっきりしている物質でもあり、工場では特に厳しく管理されます。厚生労働省のモデルSDS(安全データシート)では、発がん性は区分1A(人に対する発がん性が知られている)で、反復してばく露すると血液系に障害が出る物質として分類されています。

国際がん研究機関(IARC)もベンゼンを、人に対して発がん性があるグループ1に分類し、白血病との関係を認めています。さらに沸点80℃・引火点−11℃と、常温で火が付く引火性の液体で、蒸気は空気より重いため、床面にたまった蒸気の換気や静電気対策も欠かせません。

法令・基準対象ベンゼンの主な決まり
労働安全衛生法・特定化学物質障害予防規則作業場特定化学物質の第2類・特別管理物質。6か月以内ごとに1回の作業環境測定、作業の記録・健康診断の個人票は30年保存。溶剤として使う作業は原則禁止
作業環境評価基準作業場の空気管理濃度 1 ppm(25℃・1気圧)
揮発油等の品質の確保等に関する法律ガソリン(製品)ベンゼンは1体積%以下
大気の環境基準(環境基本法)一般の大気1年平均値 0.003 mg/m3 以下
水質の環境基準(環境基本法)公共用水域の水0.01 mg/L 以下
消防法貯蔵・取り扱い第4類 第一石油類(非水溶性)
化学物質排出把握管理促進法排出・移動量の届出特定第一種指定化学物質
出典:厚生労働省 職場のあんぜんサイト モデルSDS「ベンゼン」(2023年3月31日改正)、特定化学物質障害予防規則、揮発油等の品質の確保等に関する法律施行規則 第10条、環境省「大気汚染に係る環境基準」「水質汚濁に係る環境基準」(2026年11月4日確認)。毒物及び劇物取締法には該当しません

作業場では、ベンゼンは特定化学物質障害予防規則(特化則)の特別管理物質にあたり、空気中の濃度を6か月以内ごとに測り、管理濃度1 ppmと比べて作業場の状態を評価します。発がんの影響は何十年も後に出ることがあるため、誰がいつどの作業をしたかの記録を30年間残す決まりです。

特化則は、ベンゼンを溶剤として使う作業も原則として禁じ、密閉式の設備か、体に触れない方法と囲い式フードの局所排気装置などがそろう場合に限って認めます。

測定の方法は、2026年10月から個人ばく露測定が作業環境測定の一つとして位置づけられ、実施できる人の資格も定められました。その変更点は個人ばく露測定の義務化で解説しています。

製品としての規制がかかるのがガソリンで、品確法の規格によりベンゼンは1体積%以下に抑えられています。この上限は2000年1月に5体積%以下から引き下げられたもので、規格に合わないガソリンは給油所で売ることができません。

設備の担当者は密閉化と局所排気、作業者は保護具とばく露を減らす手順、品質保証の担当者は製品中の含有量とSDSの記載、というように、立場ごとに確かめる点が分かれます。どこから手を付けるかは、工場のリスクアセスメントの手順で洗い出すと整理しやすくなります。

ベンゼン環のよくある質問

○の構造式は反応式に使えますか?

使えます。反応の前後でベンゼン環そのものが変わらない置換反応の式なら、○の書き方でも意味は正しく伝わりますが、記入例がケクレ構造ならそれに合わせ、電子の動きを矢印で示す反応のしくみの図ではケクレ構造を使います。

ベンゼン環とベンゼンは何が違いますか?

ベンゼンはC6H6という1つの物質の名前で、ベンゼン環は炭素6個がつくる六角形の環の部分を指す言葉です。トルエンやフェノールのように、水素の一部が別の原子団に置き換わった化合物もベンゼン環を持っていて、まとめて芳香族化合物と呼びます。

ナフタレンにも○を描いてよいですか?

勧められません。ナフタレンのπ電子は10個ですが、2つの環にそれぞれ○を描くと6個ずつ計12個あるように見えるので、IUPACは隣り合う環の両方に○を描くことを避けるよう勧めており、ケクレ構造で書くのが無難です。

トルエンやキシレンもベンゼンと同じ規制ですか?

同じではありません。トルエンとキシレンは有機溶剤中毒予防規則の対象で、管理濃度はトルエン20 ppm、キシレン50 ppmと、ベンゼンの1 ppmよりかなり高く定められています。

ただし引火性の液体である点は同じで、消防法ではどちらも第4類の危険物です(トルエンは第一石油類、キシレンは第二石油類で、引火点が高いぶんキシレンのほうが火が付きにくい区分です)。

まとめ

この記事のまとめ
  • ベンゼン環の構造式は、二重結合を3本描くケクレ構造と、六角形の中に○を描く書き方があり、どちらも同じベンゼンを表す
  • ○は、6個の炭素のp軌道が重なって環の上下に広がったπ電子の雲(非局在化)を表す。二重結合の位置が入れ替わっているわけではない
  • 6本の結合はすべて139.7 pmと同じ長さで、水素化熱は二重結合3つの予想より約150 kJ/mol小さい。この安定さが芳香族性
  • 付加では安定な電子の輪が切れるので、ベンゼンは輪が戻る置換を起こしやすい。付加の水素化は高温・高圧が必要
  • 書き方に迷ったら記入例や様式に従い、指定がなければケクレ構造。分子量78から置換基を足し引きすると芳香族の分子量がすぐ出る
  • ベンゼンはナフサの接触改質と分解ガソリンからつくり、スチレン・フェノール・ナイロン原料になる。発がん性があり、管理濃度1 ppm、ガソリン中1体積%以下などの規制がある

六角形の中の○1つには、電子の広がり、結合の長さ、反応のしやすさ、そして樹脂や繊維へとつながる工業の流れまでが詰まっています。構造式の書き方を入り口に、ベンゼンがなぜ化学工業の起点になっているのかまで見通せると、芳香族の反応や製品の話がぐっとつながって見えてきます。

ベンゼンが水に溶けにくく油によく溶ける理由は極性分子と無極性分子の考え方で説明でき、ベンゼンから先の誘導品がどれだけの市場になっているかは化学業界の市場規模の記事で数字から確かめられます。

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MONOSCOPEの運営者

プラント機器メーカーとプラントメーカーで約10年、設備の提案・設計・試運転に携わったのち、Webマーケターに転身。現在はBtoB製造業専門のWebコンサルタントとして、メーカーの情報発信を支援しています。エネルギー管理士/第三種電気主任技術者。工業技術ブログを2017年から運営(500本以上執筆)、YouTube登録者約2万人、Xフォロワー約1万人。

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